2015年3月30日月曜日

針を打ってもらってから、全身すぐにつるようになってしまった!
あんまりあってなかったかなあ。。。

仕事がんばるぞ

2015年3月28日土曜日


おれはなにしてるんだ?

まずそこに帰る。シャキッとするために。気合い入れ直す。

松山かえって、病院いって、風邪良くなって、家族とあって、親乗せて車運転しまくって、両親は大げさに悲鳴あげるし(危なくなかったぞ!)、三津浜に久々にきて、実際一人でくるのは本当に久しぶりだって思い出して、渡し舟に乗って、あのおばあさん店で酒買って、昔あきらくんときた防波堤までやってきた。
暗くなる前に帰ろう。
基本ぼくはノスタルジック過ぎで、懐かしい感じ好きだけど、現在の課題と並行してその感覚を求めている。
海に来ると、とりあえず全部良しだよ。海は母だって誰が言い出した?その通りだとおもう。
忘れたくない日にちゃんと帰るために道標をつけながら、素敵でいよう。

増田は東京にいったね。とっても変な奴だけれど、ぼくも相当変なんだって気づかせてくれた。あいつの周りにはすごい渦できるけれど、結構楽しいし、またすぐに会いたいな。ちょっと肉の矢野さんと似てるとこあるんだよね。キャラは真逆だけど。

みんな三津浜きたらいいとおもいます。なんども。


暗くなる





2015年3月26日木曜日

地元に帰ってきた。
何をするでもなく散歩し続けていた子供の時に帰ってみる。
釣りに行くふりして暗いうちから三津浜港にいっていた時は何を聴いていたのかな。
英語の塾に行っているときは寄り道してツェッペリンばかり聴いていた。意味もなく切なすぎた事思い出す。

愛しいmore musicにやっとアルバム納品しました。

2015年3月22日日曜日

寂しいもの、せつないものがたまらなく好きで愛している
それを埋めることも好き
埋めようとするけれど、またすぐに寂しくなるもの
埋め続けることはできない
できないはずなのだけど、なぜか埋まったままの穴ができてしまった
その穴の前に立つと、いつもうたがきこえた

ぼくが舟だとしたら舟だとしたら波もぼくだろう
遠いところへ行きたい気持ちはわかる
時間と重力と空間、これらが一体なんなのか、まだわからないけれど、
科学者は言葉にしようとしているけれど、うまく歳をとれば自然とわかることなんじゃないか

春になって、あたたかくて、鳥たちが猫たちがうたいだす。この部屋は窓をあけていて、朝日から夕陽、闇を注がれるままにする。あのひとの歌をかけると部屋が喜ぶのが本当にわかる。部屋と仲良くしながら生きていきたい。

風邪が治らないけれど、部屋がずっと看病してくれていたことで少し良くなった。今夜もライブだ。うたう。
鼻詰まってるけど、聴いてくれ、ソクラテスも聴いてくれ、久しぶりです、大好きなソクラテス、ちなみにハコのなまえです。

2015年3月21日土曜日

遺影


ちーーん

愛する人が結婚する。
一度はぼくも父親になろうと立候補したんだけど、でも無理だった。なろうと全く思ったことなかったから準備がまるでできていなかったんだ。
彼女はよく泣く人で、悲しくて泣くことがたくさんあったけれど、嬉しくて泣くこともたくさんあった。出会えたことが嬉しくて泣いてくれるからぼくもうれしくて泣いた。彼女と出会ってぼくはよく泣くようになった。やっと血が通い始めた。人らしくなれた。
彼女は、人生短いんだから幸せにならなくちゃいけないよと言ってくれる。ぼくはもう幸せになったから本当は死んでもいいんだけど、まだ生きているから、頑張らなくちゃと思っている。
家族になれなかったことは確かに残念だけど、一緒に居た短い時間は永遠になった。ひとはちっぽけじゃない。星や宇宙より速い分、光に近いだけ。
言い訳のようだけど、家族になっていては築けなかった愛が、いまここにあるから、うれしい。ありがとう。


2015年3月20日金曜日

煙が目の前を光を時間を溶かしてくれたこと、できる限りゆっくり感謝して腰をあげてみようか
美しい世界はもう知ってるからって、それだけでは一次元、分解できた今から再び再構築、次に時間を、次に空間を、次に不思議を、次にあなたを、次に祝福を、次に次につぎに、
欠如はわたしに呼びかける
欠陥はわたしを起こそうとする
次に向かい合うこと。
穴ぼこ埋めることはもうやめてもいいよ
誕生する宇宙を迎え入れる準備はまだかい
誕生する宇宙を迎え入れる準備はもうすぐだよ

2015年3月6日金曜日

呼吸


お疲れ様。週末です。


仕事はなんであれしんどい。疲れる。帰って風呂に入って、あー疲れたって毎日でてくる独り言。かなり大きい声がでるようになった。

きのうはふたりでラップした。バタラムかと思っていたらアバンギルドでびっくりした。AUXバンド、本当にすごかった。特にサイドギターのおじさんが音楽の魔法使いのようにうまかったし、変態で、とびきり楽しそうで最高だった。

ラップは難しい。音楽になり辛い。適当な言葉は見つかるようになったけれど、マイク一本もって、なにを話すことあるのか。話すこと無いから意味のないうたを歌っていることに光を見出しているから、もっとファンキーになりたい。子供の時から話すのが苦手だったから、頭の中の原稿用紙に下書きしてからじゃないと会話できなかった昔にもいまでは感謝している。今は心と舌がくっつくようになった。やっと!
ラップしていたら自分が思っていないようなことでも言葉が先にでてくる。うーーん、って考えることもあるけれど気持ち良い波に乗っていけたらなんてこれが今のテーマでもある。

忙し過ぎて、時間もお金も追いつかない日々は、めまぐるしいようで、ゆっくりした瞬間はたくさんあるもの。春になればなおさらゆっくりがたくさんあって、みんなに楽しいことだって降り注ぐだろう。

ワインとビールを買って、今夜は久々にひとりの時間。大好きな部屋でチルアウトしていたい。必ずしもいつでも前向きにいないと胸が抉られるように苦しいわけじゃない。

明日は会社の送別会。大袈裟ではなくみんな東京にいっちゃうんだ。だけど、誰が行くのか急には思い出せないくらい現実味がないのかもしれない。ここでの生活もガラッと変わって、新キャラも続々でてきて、ぼくは歳を重ねていることを認識するんだろう。

よくここまで来たもんだ。大怪我したら大怪我してるひとのことも、わかるようになった。見えない傷、みんなたくさん抱えていること知らずに不器用に生きてる友達とか、なんにもしてあげられることなんてないんだな。一緒にいる事さえ、相手にとってよくないこともある。だけどみんな助けてくれるし、涙がてるほど優しいひとたちに囲まれていて、ぼくは助けられたら大丈夫なくらいのエネルギーはあるんだと、勝手ながら思ったりしている。

CDがやっとできる。賢いユリシーズの1stアルバム。腰を下ろしてとどめの一服をって名付けた。
()の、中が、大事だと、思っていたことがある。いまも思っているけれど、言った言葉より、なんらかの理由で今は言葉にできないけれど思っていることが大事だということに気付いた時に、括弧に収まる言葉を知る前に腰を下ろすなといううたができた。気付きの衝撃が大きかったんだ。昔から基本日和ってたまるか精神だったから腰を下ろすななんて体育会系の表現になってしまったんだけれど、いまはとても落ち着いたから、やっと腰を下ろして、とどめの一服ができるっていうところで落ち着いた。安心。
CDは世界中の人に聴いてもらいたい。音楽には音楽の世界があるから、形にできて嬉しい。人の世界と音楽の世界を繋ぐ形になる。


生きるって、マジで手探りだなーーーーなーーんつって
あきらくんが、書いてくれた題字